こんばんは。心のコンサルタント、優です。
突然ですが、私たちはカラダの痛みに対して敏感ですよね。
頭痛や腹痛があれば鎮痛剤を飲んで、
筋肉痛が出たら冷やして、
肩が凝ったらマッサージして・・・
痛みや不快感をそのまま受け取り、
癒すか和らげるために対処します。
では、心はどうでしょう?
私たちは日々、怒りや悲しみ、さみしさや悔しさ、
残念な気持ちを大なり小なり抱きます。
それって、カラダに当てはめたら「軽い頭痛」や「猛烈な腹痛」とか
「ジンジン痛む関節」みたいに言えるんじゃないでしょうか?
でも私たちって、心の痛みには耐えようとしますよね。
対処法がないと思っているからか、
それとも薬を飲んでも意味が無いからか。
でも心だって痛みます。疼きます。
そんな時、私たちがやりがちな
「耐える=なかったことにする」
という行為は、頭痛や腹痛を無視し、
起こってないものとして扱うことと同じです。
そう考えたら、せめて、せめて認知して無理をしないとか、
あたたかい格好をするとか、お腹をさすってあげるとか、しませんか?
せめて、せめて深呼吸をするとか、誰かに連絡をとるとか、
自分で自分を抱きしめてみるとか、してみませんか?
かく言う私は、小さい頃から健康でいることを使命に感じていました。
体育会系だったこともあり、コンディショニングもトレーニングのひとつ。
体調不良=悪という観念は今も完全には抜けきっていません。
ストイックな人は頑張ってしまえるし、隠すのが得意だし、
基準が高いからそんじょそこらの不調では弱音を吐くどころか申告すらせず、
むしろ笑顔を倍にする鉄の身体をもっているんですよね。
心はそれ以上に強かったです。
小さい頃から、かなりの苦しみを乗り越えてきました。
その分愛もたくさんもらったけど、この話でいうと、
愛は私の苦しみを±0にするための人質のような存在でもありました。
いま貴方が耐えているその苦しみは、
本当になす術のないものでしょうか?
心に鎮痛剤は効かないけれど、
心に対してだからこそできることはありませんか?
窓を開けたり、自分の身体をゆっくりと触ったり、
お風呂に浸かったり、本や映画をみたり、
誰かに電話したり、ミルクティーを煮出してみたり、
いつかにもらったキャンドルをつけてみたり、
空を見上げてみたり、風を感じてみたり、
声を出してみたり、紙に何かを書いてみたり、
好きなものを好きなだけ食べたり、写真を見返したり、
いつもより長くシャワーを浴びてみたり、
思いきり泣いたり、笑ったり。
痛みを無視して普通でいようなんて、
そんな辛いことしないでください。
あなたの痛みを、誰かが分かちあってくれるかも。
誰もいなくても、あなたはいる。
だから、心を存在させて、
あなたが、労わってあげて欲しいです。
カラダとココロ
どちらも大事なあなたの一部
優でした🍀
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