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寂しさの果て

私のこと

※この記事は、気分が落ちていない時、調子の良い時に読むことをおすすめします🌼





師匠の新しい本が5月に発売されるそうな。


これを見て、なんとなく「さみしさ」について考えてみた









わたしと寂しさとの付き合いは長い

特に20代中盤、離婚して、ハードワーク真っ盛り

心理学に触れて自分を変えようとしていたころ
今まで抑え込んできた感情との折り合いがつかなくなって
苦しかった時期がある


その中でも特に「寂しさ」は一番の聞かん坊で
不用意な表れ方をしては私を振り回し
夜中にひとりでパニックになったものだった







「寂しさ」と一口に言っても、その種類や度合いは様々で
”ちょっとさみしいけど、大丈夫”って時もあれば
”どうにかなりそう”なくらい飲み込まれる時もあった






私的に、さみしさには最終形態がある




ほんとうに さみしくて どうしようも なくなったとき
体温や手足の感覚がなくなっていく



心臓のあたりからからだが消えてなくなっていくような
「無」に飲み込まれそうな感覚






言いようのないくらい こわい






さみしさの中に堕ちていく
そんな感じ






「底なし沼」という表現があるけど、まず沼には水がある
ドロドロしているなら、身体に泥もまとわりつくだろう

物体があるなら、無とはちょっとちがう?と思ったけど
焦る気持ちや絶望感は似ているかもしれない








怒りは逆に自分を存分に感じる


顔がカーっと熱くなったり
全身に血がたぎるかんじ

動悸がして、震えたり、体温まであがって

すごいパワーだ


(だから疲れるんだよね…)











それに比べて さみしさは






静かなのに 静かすぎて 深くて 触れない





いま思い返してもあの時の感覚はこわいけど
それを感じるようになった私は
だいぶ健康になっていたのかもしれない


孤独感を抱いているのに
それを感じないなんて







それこそ こわい










防衛本能だったのか、そうなったとき私は


立ち上がって部屋の中を歩いたり
ただ自分の顔や体を触ったり
ベランダに出て周りを見渡したり
ぶつぶつ何かをつぶやきながら
とにかく気を紛らわせようとしていた


きっと正しい反応だったと思う







落ち着くと、誰でもいいからつながりたくなる


というより、つながらないといけなくなる





だから
知恵袋に答えたり
訳の分からないエロ掲示板に書き込んだり
野良猫男子たちに短文を送ったりしたんだ







誰でもよかったことなんて一度もない
でも誰かじゃなきゃダメだった











つながりたい
でもつながりたくない



ほんものがほしい
でもほんものがわからない



だれかといっしょにいたい
でもだれでもいいわけじゃない



ひとりでも生きなきゃいけない
でもひとりじゃ生きられない







そんなときにジココウテイカンだなんて言われても
それどころじゃなかったし
余計に苦しくなるだけだった











だからわかるよ












わたしもね
どうやってここまで来たか
わかるようでわからない






きっとまた あのさみしさを感じることもあるだろう







それでも


自分が大丈夫なこと


心のどこかで知ってる















だから







かならず抜ける日が来るよ










だいじょうぶ













あなたはここにいる















[和訳]Faded – Alan Walker





新刊読むの楽しみだなぁ^^

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